こんにちは、くらためです。
私がミニマリストを目指したきっかけに、何者かになりたかったというのがあるかも、と以前に恥を忍んで書いたっけ。
でもガチ勢のみなさんから見るとゆるさ満点。
ずっと、いつもそう。
私は何者にも、上位にもなれない女なのです。
そこそこを生きていく
そのことを自覚したのは小学校高学年。
運動会の応援団という役割がありそれはちょっとしたステイタスでもありました。
仲の良い4人グループのリーダー格に「一緒に立候補しようと言われ」、一人は習い事で忙しいから無理と断り私は二人に流されるまま挙手。
確かクラスで投票制で、それはすなわちクラスの人気投票みたいなもので、スポーツができるとか顔が可愛いとかそういう子が選ばれたんだと思います。
私は、選ばれませんでした。
一緒に手をあげた二人は応援団員となり、放課後は練習で残るので一人で帰った1ヶ月。その他大勢と席について応援を眺めた運動会の当日。そんなにやりたかったわけでもないのに惨めな気持ちになりました。
その前後にもなんとなく似たようなことがあり、「自分はそんなものだな」という自覚が徐々に芽ばえました。
それは以降の人生での積極性や選択に多少なりとも影響したと思います。
がむしゃらに頑張るのは格好いいと今でも思っていますが、頑張ってもどうにもならないこともあるとも思う。
そもそも誰のため?何のため?それより気楽にいこうぜ〜という気持ちが常にあるのです。もう惨めな思いをしたくないからあえて冷めたフリして自己制御してるのかな。
何事に対してもそんなイージーモードでここまできてしまったので、トップの苦しみが分かりません。
そしてブログランキングが下がることへの恐怖心もないのです。そもそも上位になったことがないから(爆)。
分からないからこそ、う〜んと妄想に妄想を重ねて想像してみると、それはそれはキツいだろうなと思うのです。
守るもの、削ってきたものがある人こその苦しみというのでしょうか。
大好きなブログが終わりになったり頻度が下がると
うううぅぅ人生の楽しみが(´;ω;`)
と、胸が小さくキュッとなります。
でもそれは無料で楽しませていただいている読み手の勝手。大丈夫、寂しがるな、御本が手元にあるじゃないか。
そうだ、私も翌日のポテトサラダを楽しもう。
下はとんかつ、上は昨日のポテサラとチーズのコロッケ。仕事から帰ったら揚げるだけ!山盛りキャベツと一緒に食べるんだ。小さいのは明日のお弁当にするんだ。
何事も上位になれない、何者にもなりきれない私です。
つまらない奴かもしれませんが、好きな方達からの良い刺激を受けて今日もそれなりに、そこそこに、人生を楽しんでいいます。
最後までお読みいただきありがとうございます。