こんにちは、くらためです。
お正月に感じてモヤモヤと心の奥に引っかかっていることがあります。成人の日の今日だから敢えて書こう。
親が年を取った。老いた。
誰にでも時は平等に流れ、私だっていい歳になっているわけで親が年を取るのも当然です。
それなのに戸惑う。
自分の親だから、戸惑う。
「ボケているのでは」は禁句
同じことを繰り返していうようになった。
まだ10分前にその話をしていたのに。そんなことが1つ2つ、いやもっとありそれを指摘すると「あれそうだっけ?」
ボケてんじゃないの (`・ω・´)
ついガチトーンで言ってしまった。それがどんなに仲の良い親子でも禁句と知らずに。
なんだかすごく嫌だったのだ。大げさに言えばどこか絶対的な存在だったはずの人の弱さを見たような足元がぐらつく感じ。
今思えば甘えですね。
急いで完読。
最低限これだけは・・・老いを受け入れる。
まだまだ若いと思っていたから未知の世界でした。だけどいつ何があるか分からない。
だからこそこの言葉は思わずメモ。一部抜粋です。
親が老いるということ
それは何度も同じ話をするということ
何度も同じことを訊いては
あなたを苛々させるということ
子どもにだけは怒鳴られたくない
怒られたくないということ……
無知は残酷だ。怒鳴っても怒ってもいないけど、多分傷つけてしまったとは思う。
年齢的にもうとっくにいい大人なのに自分の子供っぽさに呆れるね。
親の老いを感じた時。
思い出した日だけ、ごくたまに家に帰れた時だけで良いから、意識すべきなのはこんな最低限のことらしいです。
ただ会話するときに親と目を合わせて話す。笑いながら食事をとる。
ミニマリストお得意の「最低限」だ。モノもいらない。
こんなシンプルなことで良いんだって目からウロコだけど、出来るかと言えばまた別の話。そう遠くないとはいえ別々に住んでいれば共に食事をすること自体が稀です。
しっかりしてくれと甘えるのではなく、ありのままゆるくやれば良いよと寄り添う。
・・・出来るようになりたい。
あれ、なんかいつもと違う感じになっちゃった!モヤモヤしていたから書いてちょっとスッキリ!
最後までお読みいただきありがとうございます。