こんにちは、くらためです。
自分以外のモノの断捨離がなかなか進まない!!
そんな時、頭の隅の置いておくといいかもしれないことの話です。
人にあれを捨てろこれを捨てろと指図されると嫌な気持ちになりますよね。むしろ頑なに手放したくなくなります。
そんなこと当たり前だとわかっていたのに・・・
もう要らないでしょう
捨てていいよねっ (`・ω・´)
「捨て」に囚われていた私の口調はつい強くなっていました。
自分がミニマリストになりたいという気持ちを優先していたのです。
過去を認めて、共有する
そんな鬼のくらためでも『1日1捨て』を続ける中で気づいたことがありました。
モノを持つに至った過去を認め、その時の気持ちを共有したら、ずいぶんと手放しやすくなったのです。
認めるというと上からに聞こえますが(汗)、モノにまつわる話をする程度です。
というのも、人がモノを手にする時は大抵理由があります。
にもかかわらず「なんでこんな要らないモノ・・・」というオーラを出しまくって捨てを強要されたら気分が悪いですよね。私の場合もそれで彼の気分を害してしまいました。
今思えばひどいよね〜(;ω;)
捨てるかどうかは基本、持ち主判断です。
その過程で、これ要るのかな〜と思った時には(というか白状すると私的には要らないだろうと思った時には)そのモノについて話をするようになりました。
どんなきっかけで手にしたのか、一緒に経験して覚えているものならその時の思い出を・・・
これは初任地の街のお祭りで履いたんだよね。無理やり参加させられたと言っていたけど、写真ではすごい楽しそうだった。
これは同僚の結婚式の余興用に張り切って買いすぎて余っ担だよね。あの時の動画見たけど完成度高かった〜!ていうかもう1回見ようよ。
このマット、使い込んでるし大事にしてるんだね。え?そうでもないの?すごく気に入ってるんだと思ってた。
うろ覚えだけどこんな感じだったでしょうか。
モノの「要る・要らない」ではなく、そのモノを取り巻く背景について話すようになったのです。
するとあちらからも色々と話してくれて、最後には「でももう使わないな」とか「別にそう大事でもないんだけど」なんて声が聞かれるように。
元々使っていないモノなわけですし、本人が今は要らないと納得できれば案外あっさり手放すものなのですね。
こうして少しずつモノが減っていく清々しさよ・・・
強行断捨離も時には必要
なんて綺麗事を言っておいてなんですが
おい、これマジ要らんだろ((((;゚Д゚))))
ということもあります。こちらなどその最たる例です。
そして「まだ使えるし、誰かが使えるかも」と手放す気配がないものも。
(こちらは会社の先輩がもらってくださいましたが。)
なので時にブラックくらためが君臨し「ハイ、捨て!」と強行してしまうことも、正直あります。
モノには、持ち主にしかわからない過去や思い出が詰まっている。
ミニマリストや捨て変態になると、そうした感情は処理済みというか「それが今の暮らしにどう関係あるの?」という今にフォーカスした考え方になっていますよね。
少なくとも数ヶ月の前の私はそう。
気をつけないとモノをディスった上に理詰めで攻めてしまい・・・
この足袋をいつどこで履くの?履くつもりもないのに永遠に置いておくっていうの?!( *`ω´)
文字にするとその言い方のキツさに、溝が深まる一方だと改めて気づかされました(汗)。
伝え方が9割を読んだことも良かったのかも。当たり前のことばかりだけど普通の会話にこそ生かされると思いますし・・・
そんなトライアンドエラーの「1日1捨て」を繰り返しながら、断捨離を続けています。少しは成長しているかな〜(笑)。
最後までお読みいただきありがとうございます。