こんにちは、くらためです。
今日も元気に「捨て」を実行しております。
でもそれが原因で揉めたよね・・・
半年前に思っていたこと、これともちょっと関係あるかな。
「なんでも捨てれば良いってものじゃないでしょう」と言われましてもね。
祝儀袋の外袋、捨てのタイミング
発端は祝儀袋でした。
ありがたいことに今年はいただく機会が多々あったのですが・・・
問題は外側の袋です。
最近のものは本当にオシャレで、友達用にはこのあたりがオススメだったり♡
ただ、本来の役割は受け渡しのその瞬間に終えているのがこの祝儀袋というもの。
もう要らないね (`・ω・´)
内袋は適切に管理します。個人情報は丁寧に手シュレッドし、いただいた方の名前や金額もすぐにスマホのメモして一覧にしています。お礼をするときの目安になるので必須です。
でも外袋は綺麗だけど使い回すものでもないし、処分でいいと私は思っています。
「気持ち」と「祝儀袋」の行く末
というわけで、実家に寄った際に母が親戚から預かったというご祝儀の外袋をサクッと放置していたくらため。
これが見つかってしまったのです。
「ちゃんと取っておかなきゃダメじゃないのっ」と怒る母ため。
「メモってるしもう要らないじゃない」と言い返す末っ子。
記念においておきたければそれでもいい。
でも私には保管しておく理由が見当たりません。口出ししないで欲しいという言葉を飲み込んだ瞬間、母は言った。
そうじゃない、気持ちの問題でしょ〜!怒( *`ω´)
出た、気持ちの問題!!!
モッタイナイも、イツカ使ウカモも、セッカクイタダイタカラも全部そう。捨てる時のハードルとなるのはいつだってそうした「気持ちの問題」なのです。
これを言われてしまうともう平行線ですよね・・・
わかったよと折れるふりをして後で処分することに。最初からそうすれば良かったのだ。
「いっつも何でも捨てちゃうんだからっ」と最後に言われたのをスルーして、久々の親子口論は終了しました。
ミニマルな暮らしは、価値観は、そういう風に言われがちだったのだ。
「不要なモノは基本全捨て」が当たり前になり、気持ちの問題を大切にする人の心情をすっかり忘れてしまっていました。
どちらが悪いとかじゃない。
私はもう「気持ちの問題」でモノをとっておくことはないし、こうしたことで揉めるその時間こそが不要だと思ってしまう。
「捨て」は上手くやらなくては・・・と改めて思った年の瀬だったのでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。