こんにちは、くらためです。
すずひさんの記事を読んでいて、それだわ・・・と思ったこと。
もういい加減、手放したい。
察しすぎる力(`・ω・´)
察することができる。
それは思いやりや優しさととても似ていて、良いことみたいに思われがち。
だから、ちょっと頑張ってしまうんですよね。
でも察することは時に、相手の気持ちを尊重する=自分の気持ちに蓋をすることにつながる。
そして一度「この人は察してくれる系」と理解されると、それが当たり前になってしまう沼も存在していて。
これがあまりにしっくりくることが仕事で起きて、なんか疲れるわ〜と思っていたところです。
多分私には「察しすぎる力」はないのです。
ナチュラルに備えてはいないのに、察しようとして(だってそれが良いことだから)自爆するタイプ。
そして、家では「私疲れているの!仕事しんどい!」というオーラを出しまくって不穏な空気に。
察することに疲れて、察してオーラを出すという謎のスパイラル(爆)。大抵、被害者は家族だ。
もうどうにもこうにも疲れている時は鍋焼きうどん。
・・・という義実家の素敵な習慣に便乗した夜。
いい加減、手放そう。
「察する」ことができなくても、目の前のことをきちんと汲み取ることで日々は、仕事は成り立つはずだ。
と思う月曜の朝でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。