キャリー派でした。
かわいいという気持ちは無駄じゃない
シンプルライフを目指すようになって周りにはものが少なくなりました。
そのこと自体にはとても満足しています。導線が単純になり生活自体がずっと楽になりました。
ただ、断捨離している自分やミニマリズム情報を集めている自分に、ギスギスした感じを覚えることがあります。もともと理屈っぽいのに輪をかけて屁理屈こねるようになったといいますか。すっきりしたがっているけど、実は複雑なのではと。
特にものに対して、意味を求めるようになったからかなと思います(こういうところがすでに理屈っぽい)。
「かわいいもの」を着たり手元に置きたかった時期が確かにありました。
そういう時の選ぶ基準は、直感。
今は本当に必要かどうか比べたり考えたりと慎重です。
やっぱりキャリーのクローゼットはかわいい
なぜこんなとりとめもないことを思ったか。
海外ドラマ・SATC(Sex And The City)のDVDを友人宅で見てしまったからです。
あーあ、ダメだよそれ…と思ってくださったミニマリスト界の諸先輩方に叱られたいです。
人生観変わったという方も多いぐらい魅力いっぱいのシリーズ。
ミニマリズムとは対極にある世界感ですが、好きなものだけに囲まれた暮らしといえばまさにその通りのキャリー・ブラッドショー様。
ちょうど、友達の前でファッションショーをして捨てる服と残す服を選んでもらうシーン。
いろんな色であふれて小物にも個性があります。好きなものがぎゅーぎゅーに詰まったわくわくする空間。(敏腕スタイリストの手が加わった)キャリーだから素敵なんだとわかってはいます。でも、単純にかわいい!と思いました。
出張帰りで疲れていたとはいえ、うわー、流されやすい自分。久々にシンプルライフってなんだろうと改めて思った夜でした。
ニッポンじゃなかなか着られませんね。それでもこの世界観に憧れた人が多いのは事実。
自分の中にもシンプル思考が定着したと思っていたのに、久しぶりに観るとこのこってり具合に惹かれる気持ちが残っていました。ただただ好きなものを着るって楽しんだろうな。
部屋だってものは多いけど素敵。
私の部屋はすっかりものが減って一見きれいにはなったけど個性はありません。いや、個性なんてそもそもいるのか?自分でも面倒臭いループにはまってしまいました。
ミニマルな暮らしを望む気持ちと、単純にかわいいという気持ち。
その両方とうまく付き合っていきたいです。
当然のことながら、ミニマルじゃなくね?という自己ツッコミはすでに散々しています。
モノで取り入れることをせず、観たり読んだりするぐらいが心地いいのでしょうか。
そういう雰囲気カフェにでも行って、ただ時間をすごすのも良さそう。
どういった距離感が心地いいのか模索することになりそうです。
わくわくする。見るだけでハッピー。
そういうシンプルなかわいさを否定できないことに気がつきました。
やっぱり疲れているのか、ブレブレですみません。
最後までお読みいただきありがとうございます。