こんにちは、くらためです。
寒くなったと思えば、すっかり紅葉シーズンですね。そんな週末、この地方では有名な場所へ行ってきました。
そして、疲れました。
紅葉を見たいがために
紅葉はとてもきれいでした。
ちょっとしたコースのようになっていて、道沿いに紅葉にイチョウ、それ以外の木も赤や黄色に美しく色づいています。
ただ、そこにたどり着くまでが長かった。
道の渋滞、そして駐車場に入るための長い列。ある程度予想はしていたものの、気がつけば家を出てから2時間。
車を降りさっそく歩き出すと、そこには人、人、人。食べ物の屋台も出ており、その列が人々の行く手を妨げなかなか前に進めません。
奥に行くほどに人の数はさらに増えて、細い道をゆっくりと列になって歩きます。
上を見上げながらなのでおぼつかない足取り。道すがら、美しい紅葉を写真に収めようとシャッターを切る人が後を絶たず、ひたすら止まったり進んだり。
その間、ベビーカーにかかとをひかれ、上着にみたらし団子のタレをつけられ、事前に多少覚悟はしていたけれど、コースを歩き終える頃にはぐったりとしたのでした。
名所にこだわらない
そんな自分たちも人混みの一部。ですので、自らを棚に上げて人が多かったこと自体に文句を言うつもりなど毛頭ありません。
ただ、ふと疑問に思ったのです。
なぜわざわざあの混雑した場所に出向いたのか。
雑踏に紛れ、まわりに気を取られながら見る名所の紅葉は、たしかに美しいけれど情緒はを感じられないままでした。
そのことがなんだかとても残念に思えたのです。
たとえ木が少なくても、多少色づきが悪くても、静かな場所でゆっくりと愛でることに今の自分は価値を感じます。
例えばそれは街路樹でもいいし近くの公園でもいい。単に目に見えるものだけでなく、流れる時間そのものを楽しみたいのです。
何を感じて、何を話すかで見え方は変わるはずです。どんな気分で見るかが大事なのではと思うのです。
少しずつモノを減らすにつれ、頭の中の雑音が小さくなったようにスッキリとしました。
当たり前のようにしていた行動も、考え方ひとつで別の選択肢があることに最近気が付きはじめています。それってすごく大きな変化だなと、帰りの車中で思ったのでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。